11月1日 日曜礼拝

11月1日 日曜礼拝(26)
および主の晩餐(聖餐式)

天候:曇り

■賛美 
聖歌34(旧92)ほむべきかな我らの神
626(588)主とともに歩む

■メッセージ:ハバクク書講解⑤-カルデヤ人の滅び(ハバクク2:6-20)
①5つのあざけり
②見上げるべき創造主


第1のあざけり(6-8) 略奪
債権者が債権額以上に取り立て、今度は債務者の側が激怒して向かってゆくような構図。第1に風刺されている罪は、「貪欲」。歴史的にカルデヤ人たちは多くの国々から略奪を繰り返した。今度は略奪された側が仕返しをする。バビロンを滅びに至らしめるのはメディヤとペルシャ(メド・ペルシャ)である。

第2のあざけり(9-11) 不正の利得
「高い所」とは鷲の巣のイメージ。「鷲」が用いられる聖句は17か所。中東ではメジャーな動物で、高さや力の象徴(イザ40章)。

Jer 49:16 岩の住みかに住む者、丘の頂を占める者よ。あなたの脅かしが、あなた自身を欺いた。あなたの心は高慢だ。あなたが鷲のように巣を高くしても、わたしは、そこから引き降ろす。・・主の御告げ。・・」
Jer 49:22 見よ。彼は鷲のように舞い上がっては襲い、ボツラの上に翼を広げる。その日、エドムの勇士の心も、産みの苦しみをする女の心のようになる。
Oba 1:4 あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。・・主の御告げ。・・
―――どれも特にエドム人(バビロンがユダを攻める際に加勢し、ペトラに住んだ。オバ1:10-11)について

ユダの敵であるエドムとバビロン両方に、「高きところに家を構える」という点で「鷲」という言葉が当てられている。バビロンは創世記では「シヌアルの地」と呼ばれ、皆さんご存知の有名な神を怒らせた建築物(バベルの塔)が建てられた地。

Gen 11:2 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。

バビロンの空中庭園など世界七不思議の一つに数えられる優れた建築技術(逆に言うと煉瓦をはじめとする建材が優秀であったともいえる)を誇っていた。それらの家々自体が、不正の利得の証拠であり、偽りが存在することを叫んでいる、と神は言う。

◆見上げるべき真に高き所と、私たちの内なる貪欲
Hab 3:19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。

Luk 12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら  豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

――――貪欲は、本来頼るべきものから人を離れさせる。

第3のあざけり(12-14) 流血と不正
無理やり奴隷にした人々を用いて築かれた町。そのようなものは、神が本気になればすべて徒労である。万軍の主はそのような不正の民の労力を簡単に徒労に変えることができる。

14節はイザ11:9からの引用。イザ11章はメシアの初臨(11:1-2)と再臨(3-5)を予め示す預言である。因みに7章から12章は「メシア(インマヌエル)に関する4つの説教」として理解される。11:5に続き、6節以降がメシアの王国(千年王国)の内容となる。

神に敵対するものたちの滅びが、メシアの王国成就に繋がってゆくという、長期間のメッセージ。(過激なイスラム教徒たちが抱くジハード思想のように、私たちが無理やりそれを成すことではなく、神ご自身が自らの計画通りに実行される)。神に仕えつつ、迫害や困難にあっている者たちにとって、時代を超えて大きな励ましと慰めである。

第4のあざけり(15-17) ぶどう酒による恥ずべき行為
カルデヤ人たちが、ぶどう酒に酔う民であったことは前回のメッセージで、ダニエル書から確認済み。彼らは見せかけの親切でぶどう酒を振る舞い、酔ったところで略奪するという、まるで昏睡強盗のようなことを実際にやっていた。そのような恥ずべき行為は、それらの略奪は対人のみならず対自然にもなされたと聖書は教える。しかし本来、人は神のかたちであり(創1:28、詩篇29:1)、他の被造物を委ねられたにもかかわらず。そのような彼らは、神の怒りの杯を飲むことになる。避けられない。

Jer 25:15 まことにイスラエルの神、主は、私にこう仰せられた。「この憤りのぶどう酒の杯をわたしの手から取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々に、これを飲ませよ。
Jer 25:16 彼らは飲んで、ふらつき、狂ったようになる。わたしが彼らの間に送る剣のためである。」
Jer 25:17 そこで、私は主の御手からその杯を取り、主が私を遣わされたすべての国々に飲ませた。

第5のあざけり(18-20) 偶像礼拝
創世記の記事から、シヌアルの地は偶像礼拝の地であり、時代を経てカルデヤ人たちもまたそうであった。この時代、神の栄光(シャカイナグローリー)は明確に神殿の至聖所に存在していた。「しかし主は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ」(20)。それにもかかわらず人々は、木や石によって自らの手で造った、力なき偶像を礼拝していた。

Psa 46:10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」
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