1月17日 日曜礼拝

1月17日 日曜礼拝(37)
天候:曇り

■賛美(聖歌より。括弧内は旧番号) 
・35(93)ふし拝め国たみよ
・629(591)おそれなく近よれ
・378(385)さかえあれや

■メッセージ:アモス書講解~イントロ(アモス書1:1-2)
①預言者の召命(アモスの始動)
②物質的祝福(南北時代の繁栄)
③自然災害のさばき(カルメル山を含む飢きん)

◆まとめ:
・神の召命の重さを確認する。
・物質自体でなく必要を満たすお方を見る。
・物的祝福の実感と賛美の理由。



◆預言者アモスのプロフィール
・アモスの名の意味は「重荷を負う者」。物的祝福の中で霊的に堕落しつつある人々への重荷を抱いた歩み。

・家族については不明。ベツレヘム南東にあるユダの町テコア(テコアの荒野とも呼ばれる)に住む牧者。

・職業的預言者ではない。エリヤやエリシャによって預言者たちの学校が作られた(現在のワジ・ケルト周辺)が、そのような養成機関で訓練をうけたのではない。つまり主からの啓示(幻を見せられた)のみで奉仕に出て行った。

・南ユダの王ウジヤの時代(BC792~740在位)、北イスラエルの王ヤロブアム2世(BC793~753在位)の時代。活動期間はBC760~750頃。物質的には大いに繁栄した一方で偶像礼拝が蔓延した時代。

・幻を見た時期は地震(ゼカリヤ14:5)が起こる2年前。人々の記憶に残る大地震であったために説明の必要がなかったと思われる。終末について多く語った預言者ゼカリヤは患難時代の大地震を、ウジヤ王の時代の地震に例えている。

・南王国の出身であったが、北王国にメッセージを語る預言者。1節は先に活躍してた預言者ヨエルの言葉(ヨエル3:16)の引用。主はヨエルを通して「異邦人に対して」叫ばれたが、後の時代にはアモスを通して「北王国に対して」叫んでおられる。

・先にあげた二つの特徴(教育を受けない、生まれた地域を離れる)は、奉仕における普遍的原則ではない。

◆時代背景と物的祝福
・南王国のウジヤ王も、北王国のヤロブアム2世も有能な王であり、物質的に恵まれていた。

・繁栄の理由は三大交易路を支配し、大きな収入を得ていた。南北分裂から160~170年が経とうとしていた。特に北王国はアッシリヤの衰退から領土を回復(レボ・ハマテからアラバの海(死海)まで Ⅱ列14:25)エジプト―イズレエルの谷-ダマスコの幹線道路上に関所を設け、関税より収入。

・当時の領土は南北合わせるとダビデ・ソロモン時代に匹敵するくらいの大きさを有していた。富、繁栄といった目に見える祝福を受けていた一方で、道徳的にも腐敗し、偶像礼拝が神民の心と神政国家をむしばんでいった時代。

・アモスは北王国のベテル(ダンとともに金の子牛が祭られていた)で主のことばを語った。内容は偶像礼拝の罪を犯していること、それに対して正当なさばきが来ること、神は世の秩序が整えられることを願っていること。

◆激しい飢きんの襲来
・羊飼いの牧場はかわき、カルメルの頂は枯れる。カルメルはイスラエルでもっとも雨の恵みに与れる場所。そこでさえ主の赦しがなければいただくことができない。当然それ以外の場所はどうかは言うまでもない。大から小への展開(ユダヤ的論法 カルヴァ・ホメル)。
・因みに「カルメル」はカレム・エル、つまり「神のぶどう」の意。参考:バプテスマのヨハネの故郷エン・カレムは「ぶどう畑の泉」の意。

・それゆえに主のさばきの恐ろしさが強調される。預言者エリヤの時代に3年の飢きんがやってくる時でさえカルメルにはまだ水があった。そのカルメルが渇いてしまう。立地条件が整っているから、気象の法則にしたがい、雨が降るのが当たり前ではない。主が顔を背けたならば、決して生きていけないということを特に教えられる地・・・それがイスラエルである。

まとめ
◆神の召命の重さを確認する。
・使徒7:42-43(アモス5:25-27より)ステパノが頑ななユダヤ人たちを糾弾するために。
・使徒15:16-17(アモス9:11-12より)エルサレム会議にて、教会のリーダーを務める主の兄弟ヤコブが異邦人の救いを擁護するために。
・アモスは主の啓示によって自らのいた南王国ではなく、北王国に召されてそれに従った。

◆物質自体でなく必要を満たすお方を見る。
・目に見える物質的な豊かさではなく人々の霊的破産の状態を、表面的な現象ではなくその底辺にある本質を、アモスは見抜いていた。*参照・・・箴言23:4-5、ルカ12:15、1テモテ6:9、マタイ6:33

◆物的祝福の実感と賛美の理由。
・「私はツイている、ツイていない」といったような目に見える良い事があるから、またはそれらを実感できるから、神を賛美するのではない。そのような実感がなくても、私たちはすでに多くの恵みをいただいており、今この瞬間も守られている。それを知り、謙遜に受け止めるならば、実感はついてくる。どこに照準を合わせるか?神は働いてくださっているということを何によって知るか?それは神のみことばに他ならない。

主イエスは言われた「神の国とその義をまず第一に求めよ」。
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