イスラム教のシーア派・スンニ派

イスラム教シーア派・スンニ派の違いについて

◆イスラエルと周辺諸国への祈り

 私どもは、毎週の礼拝の中で毎回違ったイスラエルの祈りの課題を覚えます。それは聖書自身が命じているからです。先日はイスラエルにとって脅威の一つである「イランと、ロシアが接近しようとしている」という課題を共有しました。その矢先、皆さまもご存じかと思いますが、イスラム教シーア派最大勢力であるイランと、大多数を占めるスンニ派のサウジアラビアをはじめとする数か国が国交を断つという出来事が起こりました。イランと大国との接近も注視すべきことですが、反対にこのような過激な出来事はいたずらに中東のパワーバランスを崩し、事態を複雑化しかねないと、心配しております。

◆聖書を土台とする中東理解
 私は中東の現状理解のためには、ユダヤ教・キリスト教、そしてイスラム教のそれぞれの立場を理解するべきであると確信しています。しかし、学びを始める際に何か一本核とものを据えて着手しなければ、何が本質なのか混沌としてしまいます。そこで私はそれぞれの立場の共通認識である聖書を軸として、そこからそれぞれの立場を理解することをお勧めしています。中東で繰り返される紛争や宗教間の争いに失望を覚える人々に対して、牧師として「キリスト教」を中東の文脈で説明する際、まず語り手がそれぞれを総括的に理解した上で、「だから聖書を学ぶ必要があり、そこに真理と希望がある!」をお勧めする必要があります。同時にクリスチャン自身にとっては、今現在が聖書の中で神が示すタイムテーブルのどの位置に当たるのかを理解し、終末に目線を合わせ、今の歩みに希望を見出す助けとなります。

◆さらなる理解へ~イランとサウジの騒動を通して
 此度の騒動について、マスコミでは「原油価格の下落」との関わりが報じられています。一つの現象の始まりを理解する際、私たちは「きっかけ」と「本質的な原因」を混同してはなりません。そして両者を誤りなく理解するには、彼らの「心」つまり信仰的立場について触れない訳にはいきません。「私はクリスチャンだからどうでもいい」という理解ではなく、知的にも成長させていただきながら、「どうしたら福音を理解してもらえるか」と祈り模索しつつ、また日本の宣教のために役立てるべきでしょう。

さて、そこで「シーア派」「スンニ派」というキーワードについて、ヤフーニュースにて興味深い解説がありました。賛同するかどうかはさておき、祭りに参加した記者自身の体験として参考までにご紹介いたします。
~ 以下引用 ~ 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160110-00000002-withnews-int&p=1「イスラム教シーア派とスンニ派、何が違う? 実は、同じ宗派で争いも サウジとイラン、原因はイスラエル?」withnews 1月11日(月)10時0分配信


 「イスラム教スンニ派とシーア派の宗派対立が原因です」。中東のニュースでよく聞く言葉だ。スンニ派のサウジアラビアと、シーア派のイランの対立の原因としてあげられることも多い。ところが、過激派組織「イスラム国」(IS)とアラブ諸国はスンニ派同士で戦っている。サウジがイエメンで支えたとされる元大統領はイランと同じシーア派に近い。各地の紛争は本当に宗派対立が原因なのか? シーア派を国教とする世界で唯一の国・イランの「アシュラ」という行事を通じて考えてみる。(朝日新聞テヘラン支局長・神田大介)

イスラム教の少数派
 米国の調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、現在、イスラム教徒は世界に約16億人。その9割がスンニ派で、残りの1割ほどがシーア派とされる。ほとんどの国でシーア派は少数派だ。一部の地域に固まって住んでいることが多い。例外がイランで、7800万人を数える国民の9割以上がシーア派とされる。ほかにアゼルバイジャン、イラク、バーレーンでも過半数を占めている。

 とは言え、コーランを聖典とすることや、聖地メッカへの巡礼、年1回の断食月(ラマダン)など、ほとんどの決まりは両派で同じ。主な違いは、お祈りの回数(1日あたりスンニ派5回、シーア派3回)、シーア派は宗教指導者の墓参りをする(スンニ派にはない習慣)、シーア派は偶像崇拝に寛容(スンニ派の禁じる宗教指導者の肖像画などがある)など。

 だが、私が思うに、最大の違いは「アシュラをやるか、やらないか」だ。アシュラは年に1回行われる、シーア派最大の宗教行事。どんなに小さな村でも必ずやる。そんな中でも、イラン人が「アシュラの本場」「盛り上がりが違う」と口をそろえる地域がある。ヤズドという州で、ちょうどイランの真ん中あたりだ。今年のアシュラがあった10月24日、実際に訪ねてきた。

アシュラの1日
 紅茶やお菓子を配る屋台が立つ。公園の噴水が、真っ赤に色付けられる。おみこし(ナフルと呼ぶ)が出番を待つ。アシュラの日は、朝から空気がそわそわしている。駐車場や空き地では、風呂釜ほどもある鉄なべを火にかけ、男たちが大しゃもじを回す。ヒツジ肉、タマネギ、豆類などをトマトペーストで煮込んだシチュー、名物料理のゲイメが湯気を立てる。私が訪ねたアシュケザールという町では、昼の礼拝が終わると一斉にプラスチック製の容器が配られた。中にはゲイメのかかった、たっぷりの白米。無料でふるまわれる。太鼓の一団の露払いを受けて、小ぶりな鎖を手にした男たちが現れた。リズムに合わせて振り上げながら行進。壇上からの声に「ヤー、フセイン!」と声をそろえる。フセインは、この行事の主人公。680年に非業の死を遂げたとされる男性を追悼するのが、アシュラの目的なのだ。

なつかしい空気
 アシュラは追悼の儀式なので、参加者は黒い衣服で身を包むのが決まりになっている。なのに私は人混みで迷子にならないよう、あえて白いワイシャツを着ていったが、とがめる人は誰もいなかった。フセイン哀悼のかけ声を上げるときなど、ただならぬ熱気を感じる場面もあったが、危険はまったく感じない。あたたかい空気に、懐かしい気持ちになった。少年時代を思い出したからだ。アシュラの雰囲気は、まさに地元の祭りそのものだった。イランでは自由な恋愛が規制されているが、この日は大手を振って夜歩きができるとあって、若い男女にはナンパやあいびきの絶好機にもなっているそうだ。そんなところも日本の祭りに似ている。確かに、きのう美容院に行ってきましたと言わんばかりの髪形をした年頃の男性を何人も見かけた。

血まみれの行事?
 ところが、この行事を辞書的に表現すると、「殉教した宗教指導者を悼むため、自分の体を傷つけるなどするシーア派の儀式」ということになる。シーア派が生まれたのは、イスラム教の開祖・ムハンマドの没後すぐ。原因は後継者争いで、ムハンマドの血統こそがふさわしいと主張した人たちが党派をつくった。フセインはムハンマドの孫に当たる。だが、血筋にこだわらない人の方が多く、シリアを中心に勢力を伸ばしたウマイヤ朝の指導者を後継に据えた。後に、この「シーア派ではない人たち」をスンニ派と呼ぶようになる。

 シーア派の伝承では、フセインはウマイヤ朝の手で殺害されたことになっている。これを額面通りに受け取ると、アシュラはシーア派が自分の体を鎖でたたき、フセインの受けた苦しみは決して忘れないぞとスンニ派への恨みを新たにする、激しく恐ろしい儀式ということになる。だが、なにせ1300年以上も昔の話。日本では「大化の改新」が行われたころだ。蘇我氏の無念をいつか晴らすぞ……と怨念を抱き続けている人がいないと断言はできないが、そりゃ形骸化もするというものだろう。だから祭りのような色合いが濃くなるんだろうなというのが、イランで3回のアシュラを経験した私の実感である。使われていた鎖を持たせてもらうと、実に軽い。背中にうちつけてもあまり衝撃はない。

イランはいつからシーア派に?
 イランも、実はかつて、スンニ派が多数を占めていた。転機はフセインの死から800年以上もたった後のこと。シーア派系の教団だったサファヴィー朝がイランで勢力を広げ、1501年、シーア派を国教にすると宣言した。スンニ派の陰に隠れていた人びとがイランに集まり、シーア派文化が花開いた。ところが、次にイランを治めた18世紀のアフシャール朝は、スンニ派を奉じた。新しい支配者としてインパクトを出すために、前王朝との違いを明確にしたかったらしい。その後のカーシャール朝も同じことを考えたのか、今度はシーア派に戻した。

 20世紀に入ってできたパーレビ朝は、イスラム勢力自体を排除。西欧化を推し進めた。この時期、英国とソ連がイランに侵攻。第2次世界大戦後には米国が介入し、西洋文化におもねる国王の姿勢に批判が強まる。結局、1979年にイスラム革命という振り子戻しが起き、イランはシーア派の教えを国造りのもととする国になった。というわけで、イランにおける宗教のあり方は政治にほんろうされ続けてきた。アシュラをはじめ、シーア派の文化自体はイランに根付いている。ただ、現在の国教がシーア派になっているのは、長い目で見ればたまたまだと言える。これは、どの国も似たりよったりかもしれない。日本も戦前は神道が国教だった。サウジアラビアはスンニ派の中でも特に厳格なワッハーブ派で知られるが、これは18世紀に成立した宗派。地方の豪族だったサウド家と組むことで勢力を伸ばし、サウド家はアラビア半島の大部分を国王として支配、ワッハーブ派はその国教となった。

革命の輸出
 中東で宗派対立が激しくなったのは、イラン・イスラム革命のあとのようだ。革命は各地で不遇をかこつシーア派の人びとを歓喜させた。イランの最高指導者となったホメイニ師は、「革命の輸出」を国の基本方針に掲げる。各地のシーア派と連携をすすめ、武器や資金の援助もした。たとえば、レバノンで反イスラエル闘争を続けるヒズボラという組織は典型的な例だ。

 シーア派が力を持つことを、ほかのイスラム諸国は警戒した。隣国イラクは1980年、先手を打ってイランに侵攻。サウジアラビアなどペルシャ湾岸の6カ国は81年、湾岸協力会議(GCC)をつくった。中東で宗派対立と呼ばれていることがらは、このように、実際には「イランと周辺国の対立」であり、宗教的な正統性を巡って戦っているわけではない。たとえば2011年から続くシリア内戦。イランがシリアのアサド政権を支持するのは、同じシーア派だからだという説明がよくされる。だが、私が今までにイラン政府関係者を取材して、宗派の話を聞いたことは一度もない。ちなみに、アサド大統領はアラウィー派という宗派に属し、シーア派に分類はされるものの、断食や巡礼をしないなどイスラム教でもかなり独自の教義で、イラン人は宗教的な共感をほとんど持っていない。

イランが見ているのはイスラエル
 さまざまな取材を総合すると、イランがアサド政権を重視するのはこんな理由だ。イランが安全保障上、最も恐れているのはイスラエル。イランよりはるかに性能の高い兵器を持ち、核保有の宣言こそしないが核兵器を持っていることは確実で、イランを射程内におさめている。だが、イランには有効な対抗手段がない。そこで重要なのが、イスラエルの隣国レバノンにあるヒズボラ。宿敵の首元に突きつけたナイフのようなものだ。

 シリアは現在、イランがヒズボラに武器や資金、物資などを送るルートになっている。アサド政権が崩壊すれば、イランを敵視する反体制派が政権につく可能性が高く、ヒズボラは孤立してしまう。だから維持にこだわってきた。イランが見ているのはシリアではなく、イスラエルなのだ。
やはり宗派対立が内戦の原因だとされるイエメンに関しては、サウジアラビアが3月に反体制派フーシ(シーア派)の空爆を始めるまで、イランでの取材では話題に上がったことすらなかった。今も、サウジを批判するのがせいぜいで、具体的に介入する動きはないに等しい。核開発に対する制裁でカネが底をつき、そんな余力はないというのが実情のようだ。なお、フーシが2004年から戦闘を続けてきた相手は、30年あまりも独裁を続けてきたサレハ元大統領。そのサレハ氏は、フーシと同じシーア派。スンニ派のサウジは、イエメン安定のため、サレハ氏を陰で支えていたとされる。宗派、関係ないのだ。

違いを超えて
 イランは最近、シリアを巡って、必ずしもアサド大統領自体の存続にはこだわらないと姿勢を軟化させている。大事なのは、ヒズボラと現状のやりとりを続けられる程度にシリアへの影響力を保つことなわけで、政権移行のプロセスに積極的に関わろうとしている。

 もう一つ、イランを軟化させた理由がある。シリアやイラクで勢力を伸ばす「イスラム国」(IS)だ。スンニ派の過激派組織で、シーア派は邪道であり全滅させると明言している。サウジアラビア東部にあるシーア派のモスクは、ISによる爆破テロの標的になってきた。イランとはまだ距離があるが、あからさまな敵意は脅威。アサド政権に任せるだけでは、ISへの十分の対処にはならないと踏んでいるのだ。そのISは、少数民族クルド人の部隊と交戦している。クルド人のほとんどはスンニ派だ。

 また、スンニ派信仰を強調するエルドアン大統領のトルコは、クルド人武装組織を空爆している。その強硬姿勢が評価されたのか、6月の総選挙で過半数割れに追い込まれた与党の公正発展党(AKP)は、11月の再選挙で圧勝した。シーア派とスンニ派は確かに違う。だが、力を持つ人びとに都合良く利用されてきたし、今もされている。宗派の違いでは説明できない紛争も多い。私は、宗派の違いを理由にものごとを正当化するようなプロパガンダを警戒するためにも、あまり安易に中東情勢を宗派で読み解かない方がいいんじゃないかな、と思っている。
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