7月12日 日曜礼拝

7月12日 日曜礼拝(11)
天候:晴れ

■賛美 
聖歌518(旧500)みことばなる
551(529)ゆきてつげよあまねく

■メッセージ:二回目のナザレ訪問(マルコ6:1-6)

イエス様はカペナウムからご自身の故郷ナザレへ再び来られた。前回来られた時の記事はルカ4:16-30。今回は弟子たちを連れて、ラビ(教師)として安息日に会堂でみことばの奉仕をしておられた。

主のすばらしい教えに対して、古くから親しむ人々の反応は驚きであり、次第にその奥にあるプライドが不信仰が明らかになる。そして、主の奉仕の内容は、公の拒否(ベルゼブル論争)を通して変化し、信仰のない者には癒しの奇蹟はおさえるようになっていた。それゆえに主は癒しの奇蹟をとどめられた。

ナザレでの拒否・・・
・近しい者からの拒否、それは多くの預言者が通る体験である。

・イスラエルで低く見られる村で、主はさらに軽蔑された。

・この村で起こる拒否は、やがてイスラエル中から起こる拒否の型。


プライドは神の言葉の理解を妨げる。多くの不信仰がイエスとその弟子たちを覆いつくす状態でありながら、少数ではあるが癒しの奇蹟を受ける者たちがいた。つまり信仰者がいたのである。

 なぜ、こんな不信仰の村に主は二度も来られたのか?それは主のご愛であり、恵みでしかない。少数の病人は、それゆえに信仰を持ち癒された。主が先行して動いてくださらなければ、私たちは何もできない。少数の病人、彼らを通して救われた自分を見出すことができる。 

私たちの奉仕と伝道の原動力、それは主への愛に他ならない。私たちもかつては、神を知らぬ者であり、主に対して厚かましい態度をとる、無知なひとりであった。自分の霊的窮状にも気づかずに・・・(窮状に声を上げられないのは溺死寸前の者と同様である)
主はそのような彼らに、あなたに、わたしに心を留めてくださった。

ナザレにおいて救われた者は少数であったかもしれない。しかしその少数の者のために、ナザレを愛して、主は住民の不信仰を知っていても、訪れたのかもしれない。

主よ、それゆえに目に見える成功よりも、むしろ忠実な奉仕に目を向けます。主の愛をいつも覚え、主のために労することの
喜びを持って、歩ませてください。
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