4月10日 日曜礼拝

4月10日 日曜礼拝(49)
天候:晴れ

■賛美(聖歌より。括弧内は旧番号) 
・64(118)神の賜う愛
・551(529)ゆきて告げよあまねく
・367(383)ちちみこみたまの

■メッセージ:偽りの安楽と真の安らぎ(アモス6:1-14)
①おごれる者たちの断罪
②民族の破局
③偽りの安楽と真の安らぎ

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①おごれる者たちの断罪(1-7)
◆支配者たちの高慢
・契約の霊的価値に目をとめないイスラエルの振る舞い。
・サマリヤの権力者たちの高慢と安逸な生活と過度の飲酒に対する断罪。§箴言23:29-35 深酒の戒め

・シオンもサマリヤも丘の上であり、軍事的には難攻不落である。
・神を信頼する心がなくなり、誤った自信に陥った。
・裁きの対象になった町々・・・カルネ(アラムの北に位置する)
・「ガテ」は2:8などでも記されるペリシテ人の5大都市の一つ。
・災いを先のことと錯覚し、考えようともしない生活こそ、身の破滅を招く。

◆上流階級の贅沢な生活
・もっとも高価な家具を選び、最良の家畜をむさぼる姿。当時の多くの象牙の作品(アッシリヤの宮殿の装飾品など)が発見されている。

・5節は翻訳上の争点が含まれる。「合わせて」と訳される前置詞「アル」は前半と後半両方にかかると考えられるために、「新しい楽器を作る」のではなく、「楽器に合わせて新しい歌を作る」となり得る。
 
NIVは「あなたがたはダビデのように十弦の琴をかき鳴らし、楽器に合わせて歌を作りだす」という訳を採用している。

・神に奉げるべきもの(儀式に用いるぶどう酒や、神に用いる最良の香油)を横領するほど感覚はまひし、破滅の恐れを考えない。
・彼らは真っ先に捕囚の身になる。

◆高慢から堕落、は聖書で幾度も示される失敗のシナリオ
 その一部として・・・
・天使ルシファー(サタン)の堕落と追放(エゼ28章)
・ノア以降の人類の堕落とバベル事件(創世11章)

②民族の破局(8-14)
・「ヤコブの誇り」(8)…彼らの虚栄や物質的力への過信。神以外ものにそれ以上の信頼を置くことは、神が忌み嫌われる。
・多くの命が失われる凄惨な光景に、生き残る者はその恐ろしさゆえに、破滅が自分の身に降りかからないように神の御名を唱えるのを禁じてしまうほど。

・12節の翻訳の争点。NIVは「人は牛でそこ(岩)を…」という訳を採用。
*「牛で海を」は【牛(複):ベカーリーム】の読み替えで、語尾のymを切り離して【海:ヤーム】と読み替えた(新改訳、口語、新共同も採用)。

・さらに彼らは無用なものを追うことに力を費やし、それを誇りとすることで、識別力の無さを示す。「ロ・ダバル」(13)はつまらぬものの意。「カルナイム」は力の象徴である2本の角の意。両者ともイスラエル人がアラム人から奪い取ったヨルダン東、バシャンの町の名。

・こうしてヤロブアム2世のすべての誇りは消え失せる。その御怒りの道具として、「一つの民」(14)を起こす。
・ハバクク書1章では南王国ユダに対して、カルデヤ人(バビロン)をその器として起こした。彼らがまだ小さな民族で、これから歴史に残る大帝国に発展するなど、予想し得なかったときの預言である。

・「レボ・ハマテ」はハマテ(アラム王国)の入り口の意。ハマテはシリヤ、イスラエルと同盟を組んでアッシリヤのシャヌマヌエセル3世と戦った(前853)。その人々はアッシリヤに滅ぼされ、サマリヤ陥落(前722)後はイスラエルに移住させられた(Ⅱ列王17:24・30)。 ※七十人訳は「いなごの大軍が出てきた」と訳す。

§2列 17:24 ”アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。”

③偽りの安楽と真の安らぎ
◆偽りの安心に続く耐え難い苦難
・元ウルグアイ大統領ムヒカ氏(現80歳)がリオ会議(2012年)で語った伝説のスピーチが、Mr.サンデー(フジテレビ)で先日取り上げられ話題になった。彼は2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務め、最も貧しい大統領と言われた。

目に見える物質的な豊かさのみに心を奪われ、本来見上げるべきお方を忘れ、その行動は霊的識別力の無さをあからさまに示した。「自分はクリスチャンだ」と自認するものでさえも、普段は世の論理や価値観にどっぷり浸かり、いつしか聖書が示す論理や価値観との間で訳が分からなくなることがあるかもしれない。

本来見上げるべきお方以外のものに信頼することは、偶像礼拝であり、物的な豊かさにはある時は思い煩ってしまったり、また高慢になってしまう危険が伴う。神と富の両方に仕えることはできない。それは偽りの安楽であり、そこにとどまるならばその報いは受けなければならない。いかなる理由があろうと、神の愛(キリストの十字架)を受け取らないならば、そこに神との和解はない。重大な罪である。

人生において本当に価値あるものとは?本当の豊かさや、価値ある歩みとは? どこまでも満足することがない消費社会が行く末など、ムヒカ氏が語ったことは、すべて新しい問題ではなく既に聖書に示されている問題。ムヒカ氏の問題提起に対して聖書的価値観はどのような答えを持っているだろうか?日本において、神のことばの価値が軽く扱われる(ある場合はクリスチャンでさえ)が、本当に価値ある情報とは何か?われわれは自信をもって「聖書である」と示し続けようではありませんか?そして本当に価値ある選びとは、神の愛を受け取ることであり、感謝をもって心から神を礼拝する生活ではありませんか?



〈スピーチ翻訳文の一部を番組より引用〉
・・・私たちは「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」を話し合ってきました。けれど、私たちの本音は何でしょう?今の発展を続けることが本当に豊かなのでしょうか

・・・例えば、最も裕福な西側諸国と同じようなレベルで、70億、80億の人々に消費と浪費が許されるとしたら、それを支えるだけの資源が今の世界にあるのでしょうか?それは可能なのでしょうか?

・・・私たちは市場と競争社会から、文明という落とし子を生み出し、物質面での驚異的な進歩をもたらしました。そして市場経済は市場社会をつくりだし、それを世界規模に拡大してしまいました。いわゆるグローバリズムです。そのグローバリズムを、私たちはコントロールできていますか?逆にコントロールされてはいないでしょうか?こんな残酷な競争で成り立つ社会で、「みんなで世界を良くしていこう」なんて議論が、本当にできるのでしょうか?

・・・我々が今挑戦しようとする目の前の巨大な困難は、決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのです。人類は今消費社会をコントロールできていない。逆に人類のほうがその強力な力に支配されているのです。

・・・人生は短く、あっという間です。しかし、その人生こそが何より価値あるものなのです。余計なものを買うために、もっともっとと働いて人生をすり減らしているのは、消費が「社会のモーター」となっているからです。なぜなら消費が止まれば経済がマヒしてしまい、経済がマヒすれば不況というお化けが我々の前に姿を現します。しかし今この行き過ぎた消費主義こそが、地球を傷つけ、さらなる消費を促しています。商品の寿命を縮め、できるだけ多く売ろうとする。

・・・かつての賢人たち。エピクロスやセネカ、そしてアイマラ人たちは次のように言っています。「貧しい人とは少ししかものを持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人のことだ」と。

・・・見直すべきは我々が築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方です。

・・・発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」、そして「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきものなんです。
なぜなら、それらこそが一番大事な宝物なのだから。
◆聖書個所
【 アモス書 】(本文は新改訳聖書第2版を使用)
Amo 6:1 ああ。シオンで安らかに住んでいる者、サマリヤの山に信頼している者、イスラエルの家が行って仕える国々の最高の首長たち。
Amo 6:2 カルネに渡って行って見よ。そこから大ハマテに行き、またペリシテ人のガテに下って行け。あなたがたはこれらの王国よりすぐれているだろうか。あるいは、彼らの領土はあなたがたの領土より大きいだろうか。
Amo 6:3 あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている。
Amo 6:4 象牙の寝台に横たわり、長いすに身を伸ばしている者は、群れのうちから子羊を、牛舎の中から子牛を取って食べている。
Amo 6:5 彼らは十弦の琴の音に合わせて即興の歌を作り、ダビデのように新しい楽器を考え出す。
Amo 6:6 彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。
Amo 6:7 それゆえ、今、彼らは、最初の捕われ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。

Amo 6:8 神である主は、ご自分にかけて誓われる。・・万軍の神、【主】の御告げ。・・わたしはヤコブの誇りを忌みきらい、その宮殿を憎む。わたしはこの町と、その中のすべての者を引き渡す。
Amo 6:9 一つの家に十人残っても、その者たちも死ぬ。
Amo 6:10 親戚の者でこれを焼く者が家から死体を持ち出すために、これを取り上げ、その家の奥にいる者に向かって言う。「あなたのところに、まだいるか。」彼は言う。「だれもいない。」また言う。「口をつぐめ。【主】の名を口にするな。」
Amo 6:11 まことに、見よ、【主】は命じる。大きな家を打ち砕き、小さな家を粉々にせよ。
Amo 6:12 馬は岩の上を走るだろうか。人は牛で海を耕すだろうか。あなたがたは、公義を毒に変え、正義の実を苦よもぎに変えた。
Amo 6:13 あなたがたは、ロ・ダバルを喜び、「私たちは自分たちの力でカルナイムを取ったではないか。」と言う。
Amo 6:14 「まことに、イスラエルの家よ、今、わたしは一つの民を起こしてあなたがたを攻める。・・万軍の神、【主】の御告げ。・・彼らはレボ・ハマテからアラバの川筋まで、あなたがたをしいたげる。」
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