3月27日 日曜礼拝

3月27日 イースター集会(47)
天候:晴れ

■賛美(聖歌より。括弧内は旧番号) 
・126(171)よびとよ歌え
・127(172)はかのなかに
・377(384)すべてのめぐみの

■メッセージ:福音のことば③ キリストは甦られた(マタイ28:1-10ほか)
①女たちと主の復活
②敵対する者たちと主の復活
③クリスチャンにとっての主の復活



■キリスト復活(ニサンの月の17日の週の初めの日)
▼四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)から時系列順での調和を試みると・・・
・マグダラのマリヤが墓を訪れる(ヨハネ20:1)
・墓を去り、ペテロ、ヨハネに伝える(同20:2)

・マグダラのマリヤの他のマリヤ(マタイ28:1)が墓を訪れる。※ヤコブ(小ヤコブ)とヨセフの母(クロパの妻)、ゼベダイの母(サロメ)
・天使との約束(ガリラヤで主と再会する)
・弟子たちに伝えるために去る。しかし弟子は誰も信じない。

・ペテロとヨハネが墓に到着。空の墓を確認して去る。

・マグダラのマリヤは再度墓へ。彼女は一人主と出会う(ヨハ20:12)。マルコは「最初の現れ」と記す。そして再び弟子たちへ報告。

・他の女たちは仕方なく墓へ。そこで主と出会い再び弟子たちの家へ。

①女たちと主の復活
◆暦についての説明
・「週の初めの日」は異邦人から見た日曜日。イエスが十字架についたのは安息日(土曜日)の前日で「備えの日」と呼ばれる。
・安息日はユダヤ人にとって週のピークであるばかりでなく、他の祭りと比べても最高に大切にすべき日であり、祭りと重なる場合には「大いなる安息日」(ヨハ19:31)と呼ばれた。
・備えの日の前日に、アリマタヤのヨセフとニコデモは大急ぎで埋葬した。「大きな石が転がしてある」とは、相当立派な墓であったことの証明。今日、旧市街の北にある園の墓(ゴードンのカルバリ)には、同型の墓があり、実際に中に入ったりして見学できる。しかし実際の墓の位置は現在の聖墳墓教会でほぼ確定している。

◆女たちの心構え
・女たちは埋葬し直そうと早朝集まった。石はどう転がす?ローマの封印はどうする?といった計画はなく、とにかく集まった。
・ちなみに当時の埋葬方法は、まず遺体を没薬と荒布で巻き、1年くらい放置した後、骨壺に移すような二段階の埋葬方法を取っていた。
・マグダラのマリヤも「遺体が盗まれた」と解釈していた。
・復活の可能性については全く想定になかった。

・彼女たちの証言は弟子たちに受け入れられなかった。弟子たちはイエスから既にガリラヤで再会すると教えられていたのに、復活は想定になかった。

§マタイ26:30-32
”そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。”
”そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。”
”しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」”

▼そこから言えることは・・・
・評価されない者(この当時、女性の証言は信用されなかった)たちを用いる。
それは主の誕生という素晴らしい知らせの最初の目撃者に羊飼いたちが招かれたことにも通じる。

・全く想定にない者たちの行動でさえ主はご自身の計画のために用いる。
歴史の背後に神がおられ、そのみこころどおりに歴史はゴールに向かって動いていると聖書は教える。ある時は神に敵対する者たちや、無知な者たちの行動でさえ、結果的には神のみこころを助ける形になっていたりする。
 しかしそれは決して「どんな生き方をしてもいいじゃん」ということを教えているのではなく、むしろそのような歴史の妙から神の大きさを覚えつつ、神を恐れて歩むべきであることを教える。

②敵対する者たちと主の復活
◆ユダヤ人指導者たちの評価
・彼らは罪人をニックネームで呼ぶ(例 バラバ§マタ27:16)
・イエスの場合は「人をだます男」(マタ27:16)今日もタルムードの中でのイエスの評価は同様であり、イエスに敵対する者たちもいかなる形であれイエスが特別な力をもって存在したことを認める。
・イエスを信じない者たちこそ”復活”や、それに伴う弟子たちの行動を恐れていた。

◆主の復活を否定する説への反論
・弟子たちが盗んだ→寝ていたのに、誰がしたか?盗んだか?証明できない。ローマ兵の実力と任務の責任について十分理解していない。
・墓を間違えた→女たちは前の日にしっかり見ている。
・仮死状態であった→ローマ兵の判断、イエスの体に起こった現象、福音記者ルカ(医師)の判断は信頼できる。
・幻や願望だった→多くの人々に同時に現れ、弟子たちは体に触れ、食事を共にした。

▼今日に至るまで、この復活という一点について否定する満足な論を立てることはできない。復活をそのまま受け入れることの方が、よほど理性的な選択ではないか。


③クリスチャンにとっての主の復活
◆復活の結果
キリストの地上生涯について・・・葬りは辱めの終わり、復活は栄光の始まり
・キリスト自身のことばの確かさが証明された。
・キリストの無罪が証明された(1コリ15:55-56)。
・旧約聖書のメシア預言が証明された。
・キリストのメシア性(神性)が保証された。御父はそのわざを承認された。

◆弟子たちへの保証
・キリストは永遠のいのちの初穂である(1コリ15:20)
・救い(義認、聖化、栄化)の保証(個人的終末への確信。)
・世界の終末、主の再臨への確信を確かなものとする。 
・キリスト教会の存在と、使徒たちの教えの正しさを証明する。
・聖霊の内住を証明し、奉仕の力を与えてくださる。

◆未信者の状態と唯一の希望
・生まれながらの人間はどんなに人格的に優れていようと「神に対して」負債を負っている。
・十字架上の「完了した」の意味は、「支払い済み」であるということ(コロ2:13-14)。
・キリストの復活は歴史的事実であると受け入れるならば、直ちに永遠のいのちは提供されている。自分が自覚するかではない。自らの手のわざによるのではない。その確かさは神のことばの確かさによる。

2016年イースター
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Posted by希望の光バプテスト教会

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