3/27(日) イースター(復活祭)

3/27(日)イースター(復活祭)
ありがとうございました(*^_^*)

 みなさん、毎朝通勤通学お疲れ様です。朝晩の刺すような寒さが徐々に和らぎ、気が付くと桜の枝の先もだいぶ芽吹いてきています。周りを見渡してもさまざまな生き物たちの命の誕生を覚えずにはいられない季節になりますね。

2016年イースター


◆ 希望の便り「キリストが蘇られた」 
 さて、多くの教会では3/27(日)はイースター(復活祭)のための特別な集会を催します。キリストはすべてのいのちの創造に立ち会われた方。無からいのちを生み出すことのできるお方が、十字架上で死に、葬られてのち、復活されたことを覚えます。

 あの日、キリストを受け入れなかった多くの人々の無関心と嫉妬や憎しみのなかで十字架につきました。当時の歴史家の証言や、ユダヤ教のキリストに対する評価を見るときに、この出来事は事実です。しかし同時に、その後キリストは女たち、多くの弟子たちの前に現れ、彼らの理解を補ったうえで、皆が見ている前でオリーブ山から天に帰られました。

 私たちが手にすることができる新約聖書の多くは、それを目撃して主とともに過ごされた弟子たちの手によるものであり、今日まで存在する教会は、彼らの教えの延長線上にあるのです。元あったものに都合よく付け足したのではありません。その多くの教会では、「キリストが蘇られた」ということを「キリストが誕生(降誕)された」というクリスマスのメッセージと並んで強調します。

 人が復活するなんて・・・確かにそうです。でも復活がなかったら、キリストは救い主ではなかったなら、その後の新約聖書も存在せず、「キリスト教会」も存在しない。もしも復活がなかったら、「本当は甦っていないんだよな」というような後ろめたい思いをもってあれだけの働きができたでしょうか?エルサレムから異邦人世界に教会が広がる中で、命にかかわる多くの政治的宗教的な迫害を受けてきたのです。そのような状況で命がけで主に従った弟子たちの情熱、生き様を、私たちクリスチャンは新約聖書の記事から読み取り、多くの人々に問いかけたいものです。
 
 そしてもしも復活がなかったなら、それは神が言っていないことを神のことばとして伝えるのであって、ユダヤ人クリスチャン(メシアニックジュー)にとって恐ろしい冒涜です。そんなことを簡単にするでしょうか?

 いかがですか、イエスから直にことばを受けたパウロやペテロなどの歩みに目をやり、その希望が2000年後の、イスラエルから見たら世界の果てに住むような私たちの上にも示されている意味を考えてください。

神の愛は、今日もあなたの上に示されています!
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◆関連動画 「イスラエル聖地旅行【終章1】あふれる思い~十字架は誰のため」

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