12月20日 日曜礼拝

12月20日 クリスマス礼拝(33)
天候:晴れ

■賛美 
聖歌70(旧122)たみみなよろこべ
86(138)君なるイェスは今あれましぬ
96(148)きよしこのよる

■メッセージ:与えられた世の光③-東方の博士の礼拝(マタイ2:1-12)
①東方からの導き
②昔からの定め(預言の成就)
③見つめるべき世の光




▼ ユダヤ人・異邦人
ルカ2章の羊飼いたちはユダヤ人初のメシア礼拝と理解されるのに対して、マタイ2章の東方の博士は聖書の記事最初の異邦人によるメシア礼拝と理解される。

マタイは自らの記事を、主にユダヤ人に宛てて書いているにもかかわらず預言の成就というユダヤ的キーワードに絡めて、異邦人である博士の記事を記すのはなぜか?それはメシアの降誕は異邦人にとっても必要であり、全世界にとって喜ばしい出来事であることを教える。選びの民はこの素晴らしい出来事をそこでとどめておくのではなく、宣べ伝える使命がある。

パウロをはじめとする使徒たち→ユダヤ人による初代教会→異邦人教会を経て今日のクリスチャンがある。今日世界に存在する多くの教会(多くの場合は異邦人)もまた、この素晴らしき出来事をありのまま伝える使命がある。クリスチャン同士で慰めあうだけのクリスマスであってはいけない。

▼ ルカ2章との時系列的な問題
羊飼いが飼い葉おけに眠るメシア(キリスト)を礼拝した出来事から、約2年の経過がある。その根拠として13節以降で、東方の博士が帰った後に恐れたヘロデ大王がキリストと年齢の近い幼児たちを虐殺するが、殺すべき幼児の年齢を2歳以下と特定していることより。

つまり博士がメシアと出会った場所は、既にイエスが誕生した荒野の羊飼いたちの洞穴(一般的には厩と言われるが・・・)ではなく、ベツレヘムの町に移っているだろう。

ちなみにユダヤ的習慣としては、その間に八日目の割礼や命名など(ルカ2:21~)を他の子どもと同様に通過している。

▼ 博士の人数と移動方法
博士は3人とは限らない。夜の荒野の治安などをかんがみ、恐らくキャラバン(商隊)に交じって移動しただろう。



▼ 博士の素性と星の導き
聖書において東方とは、イスラエルを中心に東方でありバビロン地方。バビロンはバベル事件(創世記11章)の時は既に占星術のルーツとして確立。天文学(学問)、占星術(占い)、月神など偶像礼拝の区別はあいまい。それから時代を経て、日常的に星を扱い、天文に通じた者たちを神は用いた。神は相応しい者たちを相応しい方法で用いる。

逆に私たちはそれに応答する選びが問われている。知的に知っているだけでは、いくら聖書を学んでも意味がない。理解し、受け入れ、内なる御霊に委ねる(満たされる)必要がある。

「星」が大切な時を表わすことは民数24:17で既に預言されていた。大切な時とは、ユダヤの王の誕生である。星(9)は異常な動きを伴う超自然の星、神の臨在を示す光(シャカイナグローリー)。

彼らは星に導かれた時点で、その示す先にユダヤの王がいて、それは礼拝に値する存在(4節では「キリスト」=油注がれた者)であることを理解し、贈り物を用意して出発した。油注ぎは祭司や王の任職と関係する行為で、特にダビデはベツレヘムで王の油注ぎを受けたがゆえに、ここは「ダビデの町」と呼ばれる。

キリストはメシア(救い主)と同義であり、星が示すお方は単なる王ではない。ベツレヘムで生まれることを表わす預言に、ミカ5:2がある。ここで「昔」と訳される原語「ケデム」( קדם)は神に対して用いられる。それらは永遠の昔からの定めである。異邦人がキリストに在って救われることもまた、世界の基ができる前からの定め(エペ1:4-5)博士たちは、預言を信じて実際に移動し、贈り物を用意してひれ伏して礼拝した。

【 ミカ書 】
Mic 5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

【 エペソ書 】
Eph 1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

Eph 1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
≪それぞれ新改訳聖書 第二版より≫




礼拝を奉げるべきお方のために、犠牲を払い、実践を伴う。自分を誇るためでなく、礼拝する対象の大きさを認め賛美するとき、それとは対照的に自らの大きさはだんだん小さくなってゆくことは前回述べた。

彼らは礼拝後に「ヘロデに知らせるな」と夢の導きを受けた。それに従い、ルートを変更して帰った。結果ヨセフ一行がエジプトに逃れる助けとなり、また黄金は経済的な助けになっただろう。
 
宝物(黄金・乳香・没薬)の意味、またベツレヘムで居場所がなかったことなどは、メシアの生涯の内容を表わしていると理解してよい。祭司や学者たちは預言書の記事から、王の誕生についての預言を知的に理解しつつも、その到来を喜ぶことなく反対にヘロデの殺意に同調してしまった。

キリストは暗闇(同4:15-16)で、失われた者(迷子)である(ルカ19:9)私たちに与えられた世の光。博士たちが見るべき星を見きわめたように、私たちも唯一の救い主のみを見上げて、今日も感謝したい。そして感謝しつつクリスマスに込められた神の愛を、行動を通して表現できますように。
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Posted by希望の光バプテスト教会

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