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2015.10.29 Thu

連続テレビ小説「あさが来た」 広岡浅子

2015年度後期・朝の連続テレビ小説「あさが来た」

朝が来た・タイトルロゴ2

NHK「あさが来た」ホームページより


「八重の桜」の新島八重、「花子とアン」の村岡花子、「軍師官兵衛」の黒田官兵衛、「マッサン」のエリー(竹鶴リタ)と、ここ数年のNHKドラマの主人公がクリスチャンであることはご存知でしょうか?

そして此度、波瑠さんが演じる主人公のモデル、広岡浅子もやはりクリスチャンです!注目しましょう!



原作は、『小説 土佐堀川―女性実業家・広岡浅子の生涯』古川智映子著。
舞台は幕末の大阪。主人公「あさ」のモデルは明治・大正を代表する女性実業家「広岡浅子」。

広岡浅子は1850年、京都に生まれる。生まれつき勝気だった浅子は、「女子も人間です。人間は学問をしなければなりません」と両親に反抗して育った。

浅子は、簿記、算術、法律、経済な幅広い知識を独学で修得。鉱山と銀行の経営にあたった。
そして1901年、東京(文京区)に、日本女子大学校を設立(現在の日本女子大学)。

また、1911年、大阪YMCAの先駆者である宮川経輝牧師から受洗。日本キリスト教女子青年会(YWCA)中央委員や、大阪YWCA創立準備委員長を務め、1919年の晩年までクリスチャンとして奉仕した。

※浅子の紹介については、クリスチャントゥデイ(2015年1月19日)「NHK2015年度後期朝ドラ「あさが来た」、主人公は広岡浅子 クリスチャンの女実業家」 記者 : 新庄れい麻を参考にしております。

聖書アイコン




広岡浅子ゆかりの資料、1万点発見!
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ジャンル : テレビ・ラジオ

テーマ : 最近のドラマ

タグ : あさが来た 波瑠 広岡浅子 NHK

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2015.10.28 Wed

秋の景色

■ 近所の道端にて(^_-)—☆
多摩の秋1
多摩の秋3

■ 青木場通りにてv(^-^)
多摩の秋2

■ 多摩川関戸橋付近にて(* ̄ー ̄*)
多摩の秋4
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2015.10.25 Sun

エルサレムを包囲するイスラム軍の動画

■エルサレムを包囲するイスラム軍の動画
イスラエルへの祈り(「月刊ハーベスト・タイム」より)――― 詩篇122:6”エルサレムの平和のために祈れ”

エルサレムを見下ろす丘に兵士が集結し、今にも征服しようとしている動画がイランのウェブサイト آمادگی نابودی کامل اسرائیل توسط سپاه پاسداران انقلاب اسلامی ایران...とYouTubeで公開された。

動画の最後には「若者は、その日を見ることになる」というメッセージが表示され、イスラム教徒の手によってイスラエルが「歴史上から消される日」が来ると語る。
   
この動画はイラン革命防衛軍の関連組織が作成したもの。そのタイトルには、「イスラエルを殲滅させる準備を進めるイラン革命防衛隊」とある。

イラン政府は、先日5大国と核合意に至ったが、それ以降も狂気に満ちた反イスラエル、反ユダヤ的な言動をゆるめる気配がない。イスラエルの平和のために・・・ 

YouTube[https://www.youtube.com/watch?v=SDO-A-z6MKg]より




ISのエルサレム奪還宣言
聖書の記述、つまり神の言葉に恐れを覚えない者たちの蛮行として、関連記事をご紹介。
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2015.10.25 Sun

10月25日 日曜礼拝

10月25日 日曜礼拝(25)
天候:晴れ

■賛美 
聖歌40(旧96)聖なるかな
538(520)ただ主を

■メッセージ:ハバクク書講解④-書き記された幻(ハバクク2:1-5)
①主の応答
②正しい人
③滅びに至る罪

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2015.10.24 Sat

ISISの終末論

■ イスラエルへの祈り(「月刊ハーベスト・タイム」より) 
――― 詩篇122:6”エルサレムの平和のために祈れ”


32ページに渡るISISの内部文書がパキスタンで発見された(元米国防情報局長官らにより本物と確認)。彼らはジハード集団が発生する原因を1948年のイスラエル建国としている『イスラム国の沿革:預言者によるカリフ国家』と題された本文書には、イスラム国が世界を征服するまでの6段階が示され、今は5段階にあるという。そして6段階ではすべての非イスラム教徒と前面戦争に入り、後に“メシア”が現れて平和が実現される、という終末論(ジハード思想)。

そしてこのような厳しい言葉で締めくくる。――――真実を受け入れよ。イスラム国は生き延び栄える。そして全世界を乗っ取り、アラーに逆らう者は、一人残らず首をはねる。苦い現実だが受け入れるしかない」。

統治下にある人々とイスラエルの安全のために・・・
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2015.10.24 Sat

2015年 近所で見える秋

夏が終わり、気がつくともう10月も半ば。
近所に咲く秋の花々を一枚( ^o^)ホッ=3

2015年秋

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2015.10.23 Fri

『幸せの扉を開く29のカギ 一生感謝』

『幸せの扉を開く29のカギ 一生感謝』
(ジョン・クゥアン著 小牧者出版)

一生感謝

初版は2012年。ジョン師はチョンシン大学院卒業後、南ソウル恵み教会協力牧師として奉仕しておられる先生。
本書を手に取り真っ先に目を引いたのは帯の言葉―――「幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せなのです」。先に現象があっての感情ではなく、まず感謝という意志が先であるということを分かり易い文章とやさしいイラストで教える。

新約聖書はクリスチャンに対して「神に感謝せよ」と命じています(テサロニケ人への手紙5:18、エペソ人への手紙5:20)。
おのおの自分の歩みを振り返り、ドキッとさせられる場合があるかもしれない。

さて、この本は決して単なる自己啓発や実践倫理の類ではない。感謝すべき対象は、この世界すべてを創造し、聖書を通してご自身を示し、私たち一人ひとりを愛してくださる神であり、一人ひとりが神に立ち返ることを前提としている。

肉体の渇き以上に重大な渇きは、感謝する心が起きて来ないこと。「感謝できるやわらかい心」は、神の「恵み」(受けるに値しない者が一方的に受けるプレゼント)を理解する助けとなり、それは更なる感謝につながってゆく。

神を知り受け入れて、どんな状況でもまず感謝する(意志)ことは、結局私たちにとってもっとも「楽」な歩み方。なぜなら、本来人はそのように造られているのだから。。。

◆ 本書より引用(“ ”は私が追加しました。)
「感謝とは皮肉である。本当に感謝しなければならない人は、感謝を知らないのに、何も持っていない人は小さなことに感謝できる」
「感謝したからといってすぐに環境が変わるわけではない。しかし感謝すると私たちの心が変わる。心が豊かになっていき“人生を見る目と深さ”が変わってゆく」

f-pa


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2015.10.19 Mon

ホロコースト体験者の心の解放

ベエル・シェバ(イスラエル南部の地域)在住で、ロシア語を話すホロコースト生存者たちを対象に特別集会が開かれた。

集会ではまず生存者たちの体験談を聞き、次いで教会メンバーたちが自分たちのホロコースト体験をあかしした。その内、一人はナチスのユダヤ人虐殺により400人の親族をほぼすべてを失ったドイツ系ユダヤ人の婦人であった。

イエスを通して受けた神のあわれみによって赦すことを知ったとあかしする彼女の姿は、今も過去に縛られて生きているホロコースト生存者とは対照的であった。彼らの救いのために・・・
(月間ハーベスト・タイムより)

ヤッド・バシェム内部
殺された700万人一人ひとりに、生活があり、家族があり、ふたつとない存在であった。



今でもあの悲劇は終わってはいない。多くの犠牲を横目にぎりぎりの死線を通過した人々にとって、あの悲劇は今もなお心を縛り付けている。私たちの心は、ある場合は恐怖であったり、または怒り、復讐心といったものに縛られ(トラウマと表現することもあるが)、長く開放されない場合がある。

その鎖を解き放つために必要なもの・・・それは「赦し」。とはいえカウンセラーは人間的な方法でそれを試みるだろうが、私たちは究極的には神、つまりキリストによって可能であると理解する。本来神に赦されるはずのない私たち人類が、御子キリストの十字架によって赦された。そこに神の愛がある。私は神に愛されている。

和解


日常生活の中で、ある場合は私が憎しみを持ってしまったり、また恐怖を覚えたりする人たちもいるかもしれない。そういった人々から、過去に、思い出すのも嫌な体験を受けたかもしれない。しかしそのような人々もまた神の愛の対象である。

神が私を愛してくれていることの大きさ、素晴らしさを聖書から理解し、感謝して受け取ることこそが、赦しを求める人々にとって、もっとも必要なカウンセリングであり、怒りや悲しみ、絶望や恐怖を乗り越えるための通常成し得ない力を与えてくれると信じている。クリスチャン一人ひとりが、その喜びをもっと大胆に表現できるように・・・

そして、上記の例で加害者の側にいる人々もまた、神があらゆる方法を通して心砕き、「私のような者がどうして!?」という思いで、涙して神の愛を受け取ることができるように。
―――――神の愛を知る(体験する)とき、人は変えられる。

f-bl


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2015.10.18 Sun

10月18日 日曜礼拝

10月18日 日曜礼拝(24)
天候:曇りのち晴れ

■賛美 
聖歌40(旧96)聖なるかな
504(486)きたれ友よともにイェスの

■メッセージ:ハバクク書講解③-第二の疑問(ハバクク1:12-17)
①神への信頼
②第二の疑問
③神の言葉の確かさ



・イスラエルの民が完全に滅びることがないという確信(12節)と、その根拠は神と選びの民の間に結ばれた契約。

・神のご性質、つまり神はきよいお方(3:3)であり、けっして約束を破ることがない。ゆえに神との契約はこの世の契約以上に信用できるもの。

◆ 聖書における「岩」について
・聖書において、神を「岩」と表現し呼びかけることが多々ある。神の力、確かさや忠実さをイメージ(申命記32:4・15、1サム2:2、詩篇18:2、1コリ10:4、1ペテロ2:6-8)

詩篇 18篇1節;彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。2節;主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

・カルデヤ人が起こされる二つの理由は「さばき」と「叱責」。ユダの中にある暴虐をさばき、叱責を通してその態度を矯正する。

・生まれる質問「ユダが抱える罪の大きさは確かに分かるが、そのユダよりも邪悪なバビロニヤを用いて、ユダをさばくのか」。

・バビロニヤは漁師、ユダの民は魚(統治者のいない)に例えられる。引き網で引き上げるように簡単にユダの民を捕らえ、バビロンにつれてゆく。そして彼らはその引き上げた網を礼拝します。彼らはその軍事力を誇って神とする。

・そのような恐ろしい存在を神はいつまで放っておかれるのか。

詩篇 28:1 主よ。私はあなたに呼ばわります。私の岩よ。どうか私に耳を閉じないでください。私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように。

◆神の言葉は私たちに先行して働いている。
神のことばが先行して、祈りは神に向かって応答するための言葉である(米国人牧師、学者、詩人であるユージン・ピーターソンの言葉)。

・ハバククに対する神の言葉は、そのまま実現した。歴史こそが証人。ユダの民はバビロン捕囚に引かれていったが、70年後に帰ってきた人々は、偶像礼拝から抜けていた。

・「魚」と「網」、ハバクク書ではさばきを意味する言葉が、新約聖書では祝福の言葉として表現される。この時代も、真の支配者を知らない「魚」 たちで満ちている。そしてクリスチャンもかつてはそうであった。

・「あなたを、魚を取る漁師にしてあげよう」という主の言葉。それは主の直接の弟子たち、そして「わたしは罪人のかしら」と称したパウロによって実現し、世界に福音がもたらされた。

・神の言葉は確かであり、その働きは私たちには遅いように見えても、「定めの時」に必ず成就する。

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2015.10.12 Mon

10月11日 日曜礼拝

10月11日 日曜礼拝(23)
天候:曇り

■賛美 
聖歌40(旧96)聖なるかな
469(456)さかえの王にます主の

■メッセージ:ハバクク書講解②-最初の疑問(ハバクク1:2-11)
①最初の疑問
②神の回答
③「目を留める」こと



・ハバククの神様への訴え―本書のユニークな点

・最初の疑問;神の民であるユダの家の中に「暴虐」があること。
 
・「暴虐」; KJV(キングジェームスヴァージョン・英語)ではviolence。ヘブル語聖書ではחמס(ハマス)。 6回使用される単語(1:2・3・9、2:8・17に2回)。

・ハバククの心境は幾度も祈り、訴えていただろう。しかし神からの応えはない。 2節の言葉から、状況に対する疑問と絶望の大きさを感じ取りたい。

・最初の疑問;なぜ南ユダの罪をそのままにしているのか。その結果、律法は運用されずに放置されている。さらに正しい裁きが行われないために、悪者が正しい者を圧迫して、裁判においては裁きが公正ではなく曲げられている(本来曲がるはずのない神の律法が!!)。悪者が野放しにされている。

・この質問は神への疑いではなく、神の義を求めるがゆえである。(第2の質問に入る前の信頼の告白を参考にしたい)。

◆「力」・・・バビロニアのように「自らの力」を神とするのか(3:18-19)
・「神の力」こそ神なのか、「力」と「信仰」という二つのキーワードを通して、全く逆の生き方が示されている。
・今の時代、一体何に重きを置き、短い生涯を何のために生きるのかが問われている。神から、目を反らし、神の言葉を軽く扱う世(時代)において、「あなたは何のためにいきるのか?」が問われている(ヨハ12:29)。

◆目を留めよ
・ハバククは多くの酷い現状を把握し目撃していた。
・これは神への疑いからくる訴えではないが、目の前に広がる状況、義がないがしろにされている状況が彼の心を大いに支配し、嘆きと危機感をもって訴えたことは容易に想像がつく。

・それに対して神は、(ここに着目せよ!感動を覚えたい。)ハバククの認識をはるかに超えた所で働いておられ、そしてその酷いハバククの限られた認識を取り囲むように存在する、まだ見えていない部分について「見よ」、と言っている。


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