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2015.08.31 Mon

8月30日 日曜礼拝

8月30日 日曜礼拝(17)
天候:雨のち曇り

■賛美 
聖歌64(旧118)神の賜う愛
461(734)信ずる者は何びとも

■メッセージ:イエスの十字架上の七言⑥(ヨハネ19:30)
イエスが十字架上で語られた6つ目のことば、「完了した」。何が完了したのでしょうか?それは、今日の私たちの信仰生活と密接に関係します。イエスはこの一言を明確に語るために、苦味(麻酔)を含むぶどう酒は飲まず、肉体的な乾きを潤すために、酸いぶどう酒は飲まれました。

イエスにはそれ(つまり、御父が与えたメシアとして成すべき使命)を成し、成就したと宣言する権威がありました。以前、七言の4つ目、5つ目のことばのところでイエスの二性(神性と人性)について語りましたが、もしイエスがそうでなければ十字架上で語った「完了した」の意味は通りません。

「神であられる方が、卑しい姿(人性)をとり、地上を歩んでくださった」、これこそ使徒たちの一貫した見解でした。イエスは二性を持ち、それゆえに私たちを罪の呪いから救う、唯一の救い主である。私たちはこの立場に立って聖書を誠実に理解させていただく必要があります。
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2015.08.31 Mon

GBBS入学式

 私が2014年6月まで在籍しておりました、GBBS(グレース・バプテスト神学校・さいたま市岩槻区)の入学式が、いよいよ9月1日に行われます。今回は男性の本科生が2名ととりあえず聴講から(本科への移行も視野に入れ)始められる方が1名。さらに女性数名も聴講で学びます。すごいな。いいな。
聖書アイコン

 私の場合は、本科はひとりでしたので「我、一人荒野を行く」(笑)という感じでした。うらやましいです。毎週、私ひとりを教えるために郡山やいわき、川越から先生方が集ってくださるのも贅沢な体験でしたが、共に同じ道を志す者どうしが切磋琢磨し合うのもいいですね。自分の入学式の光景(私は2月で、午後から雪が降ってきたっけ!?)を思い出します。私の後に続く人たちを見ていると「私もがんばらなきゃ(自力でなく主に在って)」と励まされます。私も少しでも良いあかしを示すことができるように、我力ではなく「主にあって」歩ませていただきますね。

私自身は参加がかないませんが、9月1日に執り行われます入学式の上に祝福あれ。そして参加されるお一人おひとり、奉仕してくださる先生方お一人おひとりの上に、主が豊かに恵みを注いでくださいますように!!

GBBS公式ブログ【2015年9月入学式】へ飛ぶ

GBBSロゴ
グレース・バプテスト神学校
さいたま市岩槻区宮町2丁目13−5(ベテル・バプテスト教会)
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2015.08.24 Mon

べテルBC主催 秋のリトリートのお知らせ

シルバーウィークの9月20(日)~22日(火)の2泊3日で秋のリトリートを水上の日本バイブルホームで行います。

講師は、ローランド・シメオンソン先生です。シメオンソン先生は3世代目の宣教師で、日本で40年以上宣教の働きをされ、多くの実を残されました。バイブルホームも施設が増え、ますます楽しく過ごせそうです。

費用: 大人・高校生 15,000円(2泊5食) 小中学生   13,000円 *夫婦、親子(小~高)参加は、2人目より3,000円引き 幼児(4-6才)  8,000円




ぜひ参加をご検討ください。

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2015.08.24 Mon

10月以降も礼拝できるようになりました!!

まず、必要を満たしてくださる神さまの働きに感謝いたします。
結論から申し上げますと、10月以降も礼拝できるようになりました!!

私ども希望の光バプテスト教会は、5月よりおかげさまで桜美林大学多摩アカデミーヒルズの会議室をお借りして、礼拝を開始することができました。

しかし1ヶ月もしないうちに、当施設で急遽改修工事が始まることが決まり、当初10月以降はまったく使用できないと言われてしまいました。そのために今後の礼拝会場をどのように確保しようかと、6月以降ずっと祈りつつ思案しておりました。工期もはっきりせず、途方にくれてしまいました。

母教会や姉妹教会の牧師先生や兄姉方、またイスラエル聖地旅行でお世話になった兄姉方、そのうちのお一人に紹介していただいた不動産屋さんなど、多くの方々にお祈りを依頼し、伝手を探っていただきました。しかし、8月の半ばを過ぎても目立った進展はなく、不動産や他の会議室なども「教会」や「礼拝」という名称が出た瞬間に交渉が難しくなってしまう状況でした。日本のおいて、表立った迫害はありませんが、多摩はこれ程までにキリスト教会に対する無言の風当たりが実は強いということを、牧師になって初めて知りました(>_<。。)。

どうしよう?知恵や人脈の限界。祈って、そして祈って・・・それでも答えが出ない日が続きました。―――多摩中央公園で野外礼拝でもやろうか?それとも・・・最後の手段として「教会」という名称は用いずに、個人名義で「聖書の学び」という目的で公の会議室を借りて、とりあえず多摩アカデミーヒルズの工事が終わるまでの間は活動を続けることで教会組織として生き残りを図るか?

最悪を想定しました。そして事態を神様に委ねたときに、開き直りではありませんが少し心に平安が生まれました。

その結果・・・
神さまは八方ふさがりの状況を打開し、道を開いてくれました

礼拝後に念のためフロントで工事についてたずねてみると、なんと
10月以降も4階は使えるようになったらしい・・・のです。
有無を言わずに、予約が取れる分だけ(半年分)確保いたしました!!!(*^_^*)

今までの、胃に穴が開くような思いはなんだったのっ?!でも、神さまが導いて、私たちの先を歩んでくださらなければ、公に礼拝することさえも難しいということ、この教会の活動が「神(主)に在っての戦い」であるということを、この数ヶ月で体験を通して知りました。

主よ、感謝します・・・


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2015.08.23 Sun

8月23日 日曜礼拝

8月23日 日曜礼拝(16)
天候:曇り

■賛美 
聖歌64(旧118)神の賜う愛
325(338)いともよきものを

■メッセージ:イエスの十字架上の七言⑤(ヨハネ19:28)

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2015.08.18 Tue

8月16日 日曜礼拝

8月16日 日曜礼拝(15)
天候:晴れ

■賛美 
聖歌64(旧118)神の賜う愛
474(461)ながしたまいし

■メッセージ:イエスの十字架上の七言④(マタイ27:46)
 エリ、エリ、レマサバクタニ(「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」の意)というアラム語でささげられた十字架上の祈り。それは見方によっては本当に絶望きわまりない祈りである。そしてある者たちはこの祈りを根拠に、イエスの十字架上のわざは失敗であった。イエスはメシアなどではないと評価する。果たして本当だろうか?

 イエスが十字架上で息を引き取る午後3時、それはユダヤ的には夕方のささげものをささげる時間であった。そして正午からの3時間、全地は真っ暗になったと聖書は記している。それは、全人類を罪と死の呪いから解放すべく、御子ご自身がそれらを一手に背負い、きよい子羊としてささげられることを意味していた。御父はその聖さゆえに、罪を一手に負った御子から顔を背けられたことを、暗闇は意味している。最初で最後の御父と御子の断絶であった。その両者の苦しみは、私たちには到底理解し得ないであろう。イエスの肉体の苦しみと霊的な苦しみは、それゆえに過小評価してはならない。

 「イエスはメシアである」―――それは、中世の教会が勝手に決めたのではない。イエスと共に時を過ごし、復活や昇天の目の当たりにし、再び戻って来られることを信じて、命がけで福音を宣べ伝えた使徒たち共通の見解である。私たちはイエスの教えを直に受け、聖霊の特別な助けを受けた「使徒たちがどのように理解していたか」という部分を重く見なければならない。
 
 これまで「イエスは何なのか」という問いが、教会の歴史を通して論じられてきた。そして聖書の言葉を誠実に取らない者たちの自分勝手な解釈によって真理は汚されてきた。しかし、いかなる教えも当時の使徒たちの立場から外れてしまうならば、それは正しい解釈ではない。

 この一見絶望的な祈りこそ、実は詩篇22篇のメシア詩篇の引用であり(当時のユダヤ人たちはメシア預言を理解していた)、神が目を背けるような私たちの罪を、メシアご自身が一手に背負ってくださった証拠である。さらにこの義人の苦しみで始まる22篇は、最後は勝利で終わることも申し上げておく。「エリ、エリ、レマサバクタニ」―――この祈りによって、私たちは絶望ではなく、希望を見出すべきである。苦しみの底にある愛を受け取るべきである。
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2015.08.03 Mon

8月2日 日曜礼拝

8月2日 日曜礼拝(14)
天候:晴れ

■賛美 
聖歌64(旧118)神の賜う愛
421(420)父なるみ神に

■メッセージ:イエスの十字架上の七言③(ヨハネ19:26-27)
イエスが十字架上で発した7つのことば、その3つ目は「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」「そこに、あなたの母がいます。」というイエスと母マリヤ、そして愛する弟子(ヨハネ)の間で交わされた愛に満ちた言葉でした。十字架は見せしめの刑であり、民衆の無関心、罵倒、敵意が満ち溢れ、粛々と刑を進めるローマ兵たちの残酷さが取り囲んでいた。それにもかかわらず、七言の3つ目、このやり取りだけはあたかも何かに守られているかのように、その周囲だけは愛に満ちていた。

①行動に示される愛

②痛みに示される愛

③使命の内に示される愛

■適用
・イエスとマリヤの関係はカナの婚礼以来、「女の方(グネイ)」と呼ぶ公の期間に入った。メシヤの活動の公の期間は、マリヤにとって息子であり、しかし息子でない状態であった。しかし、後に母は使徒の働きの記事を見ると、イエスを主として礼拝する群れに加わっている。つまり、この出来事を通して、マリヤの愛は昇華してより高い次元に育まれた。血の関係から信仰の関係に育まれたといってよい。

 私たちも、「関係を変えられた」という意味ではマリヤと一緒である。神様と信仰によって関係を変えられた者たちが、クリスチャンである。

・私達はこの世で仕事を持ち、大なり小なりの責任を負う。大きな使命の中にあっても大切なものは何か?往々にして家族を犠牲にしてしまうことが多い。最悪は家庭崩壊。しかし、イエスの十字架上での母への愛と配慮に、われわれは今一度学びたい。
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