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2018.07.22 Sun

合同日曜礼拝のお知らせ

2018年 7月合同礼拝のご案内

◆日曜礼拝について大切なお知らせ
 7月29日(日)の日曜礼拝はベテルバプテスト教会(岩槻)との合同礼拝とさせていただきます。

聖書アイコン


 こちらの教会では7/27からサマースクールが催され、今年は聖書から「モーセの生涯」を取り上げ、地域の子どもたちにキリストと福音をお伝えします。その最終日の日曜礼拝にお招きいただきました。当教会牧師がメッセージを担当いたします。

 午後はハレルヤフェアと称し、子どもたちが練習してきた劇や歌を披露したり、楽しいゲームで汗を流します。是非一緒に楽しいひと時を過ごしませんか?どうぞお越しください。



*会場:埼玉県さいたま市岩槻区宮町2丁目13−5 
*連絡先(ベテルバプテスト教会): 048-756-8842
*時間:礼拝は10:45-12:00、ハレルヤフェアは13:30-16:00 
ベテルBCとの合同礼拝告知
*合同礼拝についての詳しいお知らせはこちらから。




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2018.01.02 Tue

元旦祈祷会

2018年 1月1日 元旦祈祷会
 主にあって2018年度も皆様とお迎えできますこと喜びつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、昨日元旦はスタッフ内で祈祷会を行いました。メッセージは詩篇149篇より「新しい歌を歌え」というイスラエルへの命令を解き明かし分かち合いつつ、新しい年の訪れへの感謝を賛美をもって神様にお示ししました。

 また後半は教会について、牧師家族について、関連教会神学校、異邦人・ユダヤ人伝道について、イスラエルについて共に祈り合わせました。この中心に主イエス様がいてくださる平安をいただきつつ、新たな年への展望を一にしました。新年早々感謝です。

牧師 小野寺望

聖書アイコン


■賛美(聖歌より。括弧内は旧番号) 
・497(480)輝く日を仰ぐとき
・469(456)さかえの王にます主の

■メッセージ:「 新しい歌を主に 」 
聖書箇所 詩篇149篇 ほか

 詩篇の終盤5篇は神への賛美が全面に出た内容で「ハレルヤ詩篇」と呼ばれ、その中の149篇で「新しい歌を歌え」と命じられます。

 「新しい歌」というフレーズは詩篇中の他の箇所やイザヤ書、黙示録で用いられますが、149篇についてまず気付くべきことは「イスラエル」と神様の関係で、この箇所は第一義的にはイスラエルへの命令。神に召し出され、契約とみことばを受け、カナンから神の義を示すために用いられた唯一の民。
 また、この命令は黙示録を理解する人々にとっては終末まで射程に入れていると理解できます。

 では他の箇所(33篇など)ではどうでしょうか。「歌え」という命令は、神の目から見て「正しい人」「心の直ぐな人」つまり信仰ゆえに霊的に新生した人々です。
 また天地を造られた神こそ唯一賛美にふさわしいならば、その恩恵に与るすべての人が唯一の神を賛美すべき対象であることが分かります。正月に参拝する人々は裁きの対象ではなく、キリストへの信仰を通して悔い改めることを願うあわれみの対象です。神様が人の唇に与えられた「歌」の本当の意味を教えられます。

イスラエルの歌(詩149)から導く真の平和
 今日、ポストモダン的な相対的宗教観(何を信じようといいんだ。尊重しよう)が世界平和の唯一の方法として信じられている。現代の人々の心を知らぬ間に蝕み、ものごとを見る基準として何の疑問もなくかけさせられている色眼鏡。クリスチャンさえも影響され、愛ゆえの寛容と混同し、信仰の力を失わせていることは残念です。

 クリスチャンの信じる神はイスラエルの神です。イスラエルの神が異邦人の神にもなられたことはアブラハム契約の通りであり、それこそ唯一の神です。相対的価値観を‘絶対’と捉えることは矛盾を含む地の論理であり、天から与えられた神のことばの前には一切混じる余地のない思想です。そこには真の平和や愛はありません。聖地旅行はそれをありのまま体験を通して教えらえます。

マサダ1



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タグ : イスラエル 教会 聖書 キリスト ユダヤ ポストモダン 相対主義

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2016.12.24 Sat

12/25(日)クリスマス礼拝(キリスト誕生のお祝い)のご報告

12/25(日)クリスマス礼拝のご報告

2016.12.25クリスマス礼拝告知
 本年は、多摩センター周辺と、貝取にお住まいの一部の皆様へ、案内を配布させていただきました。牧師家族が風邪をこじらせてダウンしてしまったり、アクシデントの中で、出来得る限りの用意をさせていただきました。
 まだまだ小さな群れで、豪華な食事会や、聖歌隊による賛美コーラスも用意できませんが、わずかばかりのプレゼントと、みことばからキリスト誕生という豪華なメッセージを用意させていただきました。

 案内を見て、聖書のことばを求めて集ってくださった一人ひとりに感謝します。そしてクリスマスに、素晴らしい神のことばを通して、新しい方とかかわる機会をくださった神様に感謝します。多摩で、もっともっとみことばをお伝えし、何にも揺らぐことのない希望の光を指し示してゆきたいのです。栄光を主に。

クリスマス礼拝2016案内

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2016.03.26 Sat

3/27(日) イースター(復活祭)

3/27(日)イースター(復活祭)
ありがとうございました(*^_^*)

 みなさん、毎朝通勤通学お疲れ様です。朝晩の刺すような寒さが徐々に和らぎ、気が付くと桜の枝の先もだいぶ芽吹いてきています。周りを見渡してもさまざまな生き物たちの命の誕生を覚えずにはいられない季節になりますね。

2016年イースター


◆ 希望の便り「キリストが蘇られた」 
 さて、多くの教会では3/27(日)はイースター(復活祭)のための特別な集会を催します。キリストはすべてのいのちの創造に立ち会われた方。無からいのちを生み出すことのできるお方が、十字架上で死に、葬られてのち、復活されたことを覚えます。

 あの日、キリストを受け入れなかった多くの人々の無関心と嫉妬や憎しみのなかで十字架につきました。当時の歴史家の証言や、ユダヤ教のキリストに対する評価を見るときに、この出来事は事実です。しかし同時に、その後キリストは女たち、多くの弟子たちの前に現れ、彼らの理解を補ったうえで、皆が見ている前でオリーブ山から天に帰られました。

 私たちが手にすることができる新約聖書の多くは、それを目撃して主とともに過ごされた弟子たちの手によるものであり、今日まで存在する教会は、彼らの教えの延長線上にあるのです。元あったものに都合よく付け足したのではありません。その多くの教会では、「キリストが蘇られた」ということを「キリストが誕生(降誕)された」というクリスマスのメッセージと並んで強調します。

 人が復活するなんて・・・確かにそうです。でも復活がなかったら、キリストは救い主ではなかったなら、その後の新約聖書も存在せず、「キリスト教会」も存在しない。もしも復活がなかったら、「本当は甦っていないんだよな」というような後ろめたい思いをもってあれだけの働きができたでしょうか?エルサレムから異邦人世界に教会が広がる中で、命にかかわる多くの政治的宗教的な迫害を受けてきたのです。そのような状況で命がけで主に従った弟子たちの情熱、生き様を、私たちクリスチャンは新約聖書の記事から読み取り、多くの人々に問いかけたいものです。
 
 そしてもしも復活がなかったなら、それは神が言っていないことを神のことばとして伝えるのであって、ユダヤ人クリスチャン(メシアニックジュー)にとって恐ろしい冒涜です。そんなことを簡単にするでしょうか?

 いかがですか、イエスから直にことばを受けたパウロやペテロなどの歩みに目をやり、その希望が2000年後の、イスラエルから見たら世界の果てに住むような私たちの上にも示されている意味を考えてください。

神の愛は、今日もあなたの上に示されています!
関連記事 ブログ「日曜礼拝(イースター)」

◆関連動画 「イスラエル聖地旅行【終章1】あふれる思い~十字架は誰のため」


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2016.01.01 Fri

2016年元旦礼拝報告・べテルバプテスト教会にて

ベテルバプテスト教会 2016年元旦礼拝ご報告

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 2016年元旦、ベテルバプテスト教会(さいたま市岩槻区)にてメッセージの奉仕をさせていただきました。一年前にお会いして以来の方、6月のカンファレンス以来の方、また神学校で学んでおられる神学生たち、そして三田師ご夫妻との交わりから大きな励ましや、アドバイスをいただきました。

 メッセージはマタイ5章いわゆる「山上の説教」と呼ばれる部分の冒頭、八福の教えのはじめの3つを特に取り上げ、逆説的な神の方法で一年間歩もうというお話をさせていただきました。

◆下記ブログもあわせてごらんください!!(*^ー゜)v
・ベテルバプテスト教会ブログ「元旦礼拝と鍋を囲んだ交わり会」
・グレースバプテスト神学校ブログ「卒業生、小野寺先生をお迎えして」


 ベテル2016元旦礼拝



1月1日 元旦礼拝/天候:晴れ
■メッセージ:世の方法でなく神の方法で①(マタイ5:1-5)
①心の貧しい者
②悲しむ者
③柔和な者


◆ 昨年の回顧と新年へ展望
・これまでの社会規範や価値観に対してさまざまな分野で大きな変更を求められる。
・一人ひとりがその変化を、聖書からどう対処するすべきか、判断する必要が出てくる。聖書的価値観を語りにくくなるようなこともあるかもしれない。
・世は非聖書的な方向に向かっていくという聖書の趣旨のとおり。同調することなく、しっかり自分の立ち位置を守る大切さ。
・クリスチャン、教会とは?その存在が世に問われる。
・教会や、集う一人ひとりを突き動かす原動力、それは神の恵み、心の底から突き上げる感謝と喜び(それはみことばの知的理解と聖霊の働きによる)によるのが本来あるべき姿。
・この不思議な姿を通して、希望のメッセージをあかしするお互いでありたい。

【 聖書箇所の説明 】
・マタイの福音書5章は「山上の説教」、もしくははじめの「幸いである」という部分8つだけをとって「八福の教え」と呼ばれる。本日取り上げるのはその始めの3つ。教えの趣旨はモーセの律法の本来あるべき心。

・今日、恵みの福音(Ⅰコリ15章)を信じることによって救われた一人ひとりはモーセの律法の内にはいない。
・この教えは第一義的にはこの時この場にいた弟子たちに語られたものである。
・信仰を通して救われることは、どの時代も変わらない。
・したがって時代区分も違う。今日の信者が第一にが守るべきは新約書簡の使徒たちの教え、それらを含め内なる聖霊が教えるキリストの律法に従う。
・しかし、双方には共通点が多くあり、そこを理解して読むならば、使徒たちと共に多くの幸いをいただくことができる。

・キーワードは「幸い」。この世の基準の「幸い」ではなく、神の目線から見た「幸い」である。先の箇所では「狭い門、狭い道」と言われる方法が確かに存在する。8つの教えは信仰者のあるべき姿、または特徴といってよい。
・一見逆説的に見えるため、世から見ると愚かに見える。
・聖書の中ではしばしば逆説的に教えが示される。


・個々人と神様との関係(ルカ18:19)が前提。
・高慢とは相反する姿。
・自らの足りなさ、至らなさ、霊的な貧しさに目を向けた時に、自力での改善は不可能であることを理解し、神様に寄り頼んでゆく人こそ、神の目から見て幸い。


・ただ単に悲しいことがあった人を慰めているのではない。
・この世を見渡し、そして自らの内にある罪に目を留めて、神の目線から見た正しさが欠けていること、それを悲しむ者は幸いである。なぜなら、このような人々に神の慰めが約束されるから。

・弱々しい、薄弱なイメージではない.。
・聖書が教える柔和とは、神に依り頼む姿勢。神へのゆるぎない信頼のゆえに。

・自己主張から解放された者には、神の約束が成る時それを見ることになる。
・他者への復讐心や、苦い根なども持つ必要が無い。すべてをご存じでおられるお方に預け、心を解放することこそ、他者を憎んで止まない者に対する真の癒しとなる。

【 まとめ 】
・私たちクリスチャンの歩みは、神の恵みによって歩むべき。
・神は恵み豊かに与えてくださるお方。決してケチなお方ではない。喜んで仕えようとする者に、更なる恵みを与えてくださる。
・私たちは、日々の歩みにおいても、教会の奉仕や交わりなどの活動においても世の方法ではなく神の方法に従うべき。その時、はじめて教会が本来の喜びに満たされて理屈では信じられないような働きを示して、神をあかしすることができる。決して儒教的な努力、修行の歩みではない。

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